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社会の無策
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2006/5/8 (月) 22:46:21
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のぶあき
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次から次と陰惨(いんさん)な事件が起きるたび、暗澹(あんたん)たる気持ちに陥ります。同時に自分自身も慣れっこになっていないか心配になります。
4月、岐阜県中津川市の空きとなったパチンコ店内で市立中学2年生の少女の遺体が見つかり、15歳の少年が逮捕された事件で、少年問題を考える上で大変参考になるコメントを見つけましたので紹介します。身近なところで「大人は何をしなければならないか」「何ができるのか」相談していきたい。
そうしているうちに昨日は山形県飯豊町の3人が近所に住む青年に襲われた事件が起きています。
「非行克服センター」理事長・能重真作さんの話
(「しんぶん赤旗」4月23日号より)
「問題のある子」たちの排除ではなく、
「地域の子」として見守りを
事件の全容が明らかになっていないので、はっきりとしたことは言えませんが、殺害の動機は交友関係のもつれでしょう。衝動的、短絡的に殺してしまったのではないでしょうか。最近、考える力が育っていない子どもたちが多くなっています。自分の行動の結果がどうなるのかという想像力が働かない。殺し、殺されるということが当たり前のように報道される中、子どもたちの感覚が混乱していると感じます。
事件を通じてもう一つのことは「加害者になってしまうかもしれない子どもたち」への対応が全くの無策であるということです。被害者、加害者ともに一部では「心配な子どもたち」と見られていたとききます。
少年事件が起きると親の責任ばかりが取りざたされます。しかし、それでは子どもたちを取り巻く問題は解決しません。「心配な子」「問題のある子」たちを排除するのではなく、地域の子どもとして見守っていくことが必要です。遺体発見現場のもとパチンコ店も「危険な場所。どうにかしてほしい」とささやかれていたといいます。私たち大人は、こうした問題を自分達の問題としてとらえ、行動を起さねばいけません。
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